ダークエロスの傑作☆BLCD 「黒い愛情」 [BLCD]

ダークエロスの傑作☆BLCD「黒い愛情」

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総合 :★★★☆☆
ストーリー性:★★★☆☆
H濃度 :★★★★☆
腐ノ狂王点 :★★★☆☆

原作:秀香穂里
出演:緑川光×平川大輔

内容紹介:
過去にトラウマをもつ二人の精神科医・伏見とその同僚・加藤。
加藤は心理学を熟知した悪魔的な支配力によって、伏見の心も体も束縛し、追い詰めてゆく。。。アンモラルなプレイ満載のディープなストーリー。

感想:
全体的に抑圧されたダークな印象を受けさせる本作は、原作者様が「心理的なもの」を扱おうと試まれた努力感がヒシヒシと伝わってくる、腐国ノ狂王好みの作品である。
ドS「加藤」が攻めまくり、追い詰めていくプロセスがとてもイイ。
伏見が過去を思い出しかけた時のBGMなどの音の使い方もgoodで、ドラマでも見ているかのような感覚で、最期まで眠くならずに聴けること請け合いだ。ただ、いつのもパターンと同様、出だしはエキサイティング。でも「ここまでひっぱっておいて、このしょぼいラスト?」感は正直否めない。でも、本作の主役、この声優様のご活躍で、このCDはとってもト/ク/ベ/ツな出来栄えとなっているのである。
そう、
もちろん、ご注聴いただきたいのは「緑川氏」。氏については、腐国ノ狂王もかねがねあつ~く語りたいと思っていた声優様の内のお一人である。

本作では、かなり抑揚の抑えられた低音ヴォイス攻めをご披露してくださっている緑川氏。それが、ホントたまらんのです。
しかも、その変態行為っぷりったらっ!!! なんてトレヴィアン❤
喫茶店で、「乳首クリップ」羞恥プレイ強要されたら、イきますね、大抵のお方は!!!!

そんな低音ヴォイスが❤な氏ではございますが、過去作では断然「受け専」で、ショタじみた高音で喘がれておられた「喘ぎ隊KING」だ。正直、腐国ノ狂王的には、その当時の緑川氏よりも、最近拝聴する機会の増えた、氏の低音ヴォイスの方が、断然美味しくいただけてしまう。とくに、その美味しいお味を倍増させてくれるのは、「いやいや~んな受け」。たとえば今すぐ思いつくのといえば、「極道的純愛★★★☆☆」や「影の館★★☆☆☆」(ここでは、長ゼリフのバックで永延と喘いでます。またそれが、耳に❤)での低音受けは絶品である。(低音ではありませんが、最近OVA化されて記憶に新しい「恋する暴君★★★☆☆」なんていうのも、いやいや受けでしたね。)
いや~。氏の「いやいや~んな受け」の喘ぎのヴァリエーションの多さと言ったらっ!!!
もう本当にご同業の中でも右に出る方は他にいないのではないかと思います。
ともすると、声優様によっては「喘ぎ」ってワンパターン化することが多いような気がしますが、このお方はちがいますっ!!!!
緑川氏の「喘ぎ」のラベルがついた引き出しの数は、ハンパありませんっ。
イくまでの抑揚の付け方と、スピード感が絶妙。口を継ぐんだままの状態で喘ぎ声が漏れたりしてるから、もう、エロエロ。そして達したときの「ああああっつ」が、超リアル!聴く方もイケるっていうか、とにかくもう、すごく気持ちよ~くさせてくださるのです。

ともあれ、ちょっと脱線してしまいましたが、本作では、「攻め」の緑川氏。聴く方は癖になりそうである。最近あまりBLCDの方では以前ほどそのお声を聴ける機会もすくなくなったようにお見受けするが、「ドS攻めの緑川」で、今後も我々視聴者をもガンガン攻めていただきたいものである。

激しくオススメの点:
① 緑川氏の低音ヴォイス変態攻めっぷり。これにつきます。
機会があれば低音ヴォイス「いやいや~んな受け」の方もお試しあれ!

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余談ではあるが、「心理」モノ関連ということで、腐国ノ狂王は、あの心理学の巨匠「ジークムント・フロイト」氏のあの興味深いテオリーにここで少しふれておきたい。なぜなら腐国ノ狂王的にいえば、氏はかなり「ペ○ス」や「肛門愛」に執着したお方だからである。
氏の論集の中に「エロス論集(ちくま学芸文庫)★★★★☆」というのがあるが、貴方はご存じだろうか。ページをめくれば、そこは「ペ○ス」「肛門」祭りであるから、びっくりである。こんな単語も、学者様が真面目に語ると、立派な「学問」になるのだから、ホント不思議だ。
でも、正直、そこに書かれている氏の「性」に対する心理学的解釈付けは、大変興味深いものがある。腐国ノ住人には、かなり美味しく頂ける内容となっている。フロイト氏といえば、「性」を扱った、当時ではセンセーショナルな心理解釈で一世を風靡した(その解釈には、「ペ○ス羨望」など賛否両論あるものの)わけだが、最近になってまた読み返してみると本当に興味深い内容となっていることがわかる。その中でも特に腐国ノ狂王として1つ注目したいのは、フロイトが徹底的に性(特にペ○ス)と性格分析を結びつけて考えている点である。そう、氏の「ペ○ス」と「肛門」に対する執着心は、もう並々ならぬものがあるのである。
氏の論文「欲動転換、特に肛門愛の欲動転換について」を読むと、「人間の愛の根源」みたいなものが解き明かされているような気がするので、ちょっとここで紹介しておきたい。
氏に言わせると、
①「子供はうんこであり、腸管を通って体から排出されて生まれてくると考られている。。。。腸の内容物に適用されていたリビドー的な部分が、腸から生まれてくる子供にも敷衍されるのである。(p382)」
「糞便は子供の最初の贈り物であり、こどもの体の一部である。乳児は愛する人が求めた時だけに「うんこ」を送り出すのであり、それによって愛する人に対する「問わずがたり」に(人がたずねないのに、自ら語りだすこと)示す。子供は原則として「見知らぬ人にはこの贈り物をしないので」見知らぬ人を汚すことはないのである。(p382)」とある。
(つまりここでは「うんこ」は「腸から生まれてくるという点で」男女の愛の証しとして生まれてくる「子供」にも敷衍(押し広げて説明する)されるということである。言葉をかえるなら、「子供が生成される過程」と「うんこが生成される過程」というのは本来別物であるはずなのに、「腸を通って排出される」という点において、心理学的にはシンクロして解釈し得るということである。そして両者は「愛の行為=生命を繋ぐ行為」という意味で根源を同じくしている。かなりむちゃくちゃなこじつけ解釈に思えるが、フロイト氏のいわんとしていることが妙な説得力を持って理解できてしまうのは腐国ノ狂王だけなのでしょうか?)

②つぎに、「「糞便」に対して子供は誰でも多大なる興味を示すもの」であり、「子供は排便の際に、ナルシスと的な態度をとるか、それとも対照的な態度をとるかという最初の決断を下す。いわれるとおりに排便し、愛情のために便を捧げるか、それとも自体愛的な満足のために、後には自分の意思を主張するために、便をとっておくかのどちらかなのである.。(p382-383)」。(つまり、ここでは、「糞便」は愛の象徴として解釈され、幼児期に確立される「糞便」への執着度とそれへ追随する態度は、大人になれば、それはそのまま「自己へのまたは他人へ対する愛の態度へと発展していく」ということである。)

このような、
フロイト氏のびっくりするような、まさかの「うんこ」つながりな展開!!!
しかし、なんとも奥深いウンチクではないか!!!
氏の「愛」を理解しようとする涙ぐましい努力!!!
腐国ノ狂王は、フロイト氏を心より尊敬いたします。
まさか、「うんこ」がここまで高尚な意味をもつとは!!!
腐国ノ狂王、開眼いたしました。
うんこ(愛情の証)を排出する口である「肛門」がいかに「愛」の原点であるかとういことを教えて下さったフロイト氏に大きな拍手。

そして、腐国ノ狂王が狂愛する、「肛門」を愛して止まない男性たち。。。。
彼らは、「愛」の真髄を本能で知っていらっしゃるお方たちでいらっしゃったのですねっ!!!
深いです。
BL Bravissimo!!!

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